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物理学における70の未解決難題のうちの一つ
還元と創発:物質世界のとらえ方
物質を分割しどこまでも小さくしていくとき最終的にどこに行きつくか。素粒子物理学に代表されるこういった物質に対する世界観は要素還元主義的アプローチとよばれ,物理学の成功の一側面を支えている。これらが「どこまでも小さく」への挑戦とすれば、物性物理学は「どこまでも多く」への挑戦といえるだろう。固体物質中にはアボガドロ数(1023 個)程度の電子があり、同じ数のシュレーディンガー方程式を解き全電子のふるまいを解くことはできないし、また意味がない。物性物理学においては、多粒子系としての電子のふるまいの理解を通じて物質の機能を演繹的に理解する。物質世界へのこういったアプローチをアンダーソン(P. Anderson)は“More is different(多は異いなり)”という言葉で明快に表現した。物質世界には「階層性」が存在する。長さとエネルギーの両面で幅広いスケールにわたる自然を理解するためには、階層に応じた物理を構成する必要がある。たとえば、固体中の電子は結晶の対称性にしたがったふるまいを示し、その物理法則は素粒子としての電子のものとは大きく異なる。それでもなお、「どこまでも小さく」「どこまでも多く」は物理学において対立する概念ではない。アプローチは異なれど、物理学という同じツー
ルを用いるなかで驚くほど似た概念に到達する場合がしばしばある。たとえば、超伝導のBCS 理論が記述するゲージ対称性の自発的破れの考え方が、南部陽一郎によって素粒子物理学に持ち込まれ、ヒッグス機構につながった。また、金属中の磁性不純物で生じる近藤効果の非摂動性が、量子色力学での漸近的自由性と対応することも知られている。
物理学の魅力の1 つは、実験から帰納的に推論を重ねる一方で、数学的援用を受けながら演繹性、予言性を獲得しうることだろう。では、複雑に組織化された多粒子系を扱う物性物理学は、その演繹性の先になにをみるだろうか?
個々の基本要素の総和としてではなく、システム全体として思いもよらない性質が発現することを創発という。これは近年、複雑系や生命科学を中心に強調される概念であるが、固体物質の新奇機能を求める際の指導原理になりえる。アンダーソンの提唱から40 年以上経つ。Beyond “More is different”の探求は、多粒子系の示す機能―different の正体―を解明する物理学を構築することにほかならない。これからの実験的・理論的研究がどのような物質世界観を提示していくのか、興味は尽きない。
会誌編集委員会
一般社団法人日本物理学会(The Physical Society of Japan)
日本物理学会誌 第72巻第9号(通巻823号)平成29年9月5日発行 付録
p.41 「還元と創発」より引用